胃カメラ
今年の春頃から胃の具合に違和感を覚えるようになり、何らかの罹患を心配して消化器内科にかかってみた。薬では症状に変化がなかったため人生で初めて上部内視鏡検査、いわゆる胃カメラをする運びとなった。
とかくビビリである私は内臓に異物を入れられることが怖くてしかたない。できれば避けたい事態であったが、万が一大病の発見を逃せば進行してより苦しむことになる。今立ちはだかる壁が一番低いと自分に言い聞かせた。
◇
検査当日。曇り、10月下旬にしては気温が低い。
意識のある状態だと嘔吐反射で相当苦しむらしいので、静脈麻酔を使用することにした。
はじめに前室にて麻酔のためのルート確保。この注射をまず恐れていた。看護師のお姉さんが「ちょっと怖いよね〜」とか「お薬おいしくないね〜」とか、子どもをあやすような調子で私に話しかける。平静を装ったはずが、彼女は全てを見透かした。
注射を乗り越えいよいよ処置室へ。喉に麻酔薬を塗布すると、何かがつっかえたように呂律が回らなくなった。
続いてしかるべき体勢で台上に寝転がる。体がこわばっていたようで「ここに乗っちゃうと緊張するよね〜」とお姉さん。この言葉で状況をメタ視してしまい、なんとも滑稽な自分に恥ずかしくなる。
処置は3人がかりで手際よく進行し、私は中央に穴のあいた猿ぐつわのような器具をくわえさせられていた。半年ほど前に読んだジョージオーウェルの「1984年」にこんな拷問のシーンがなかったっけ……余計なことを思い出し緊張は頂点に達する。「最愛の彼女が負う痛みは全て私が引き受けようじゃないか」と平時にいくら息巻いても、肉体的苦痛を受けているまさにそのときには「どうか彼女を犠牲にして私を助けて」と懇願してしまう。決して人間存在を醜いものだと言い切りはしないが、美しくあれるならその状況にこそ価値があるのだろう。
麻酔の注入と同時に深呼吸を促される。4~5回数えるうちに心地よい痺れがじんわりと全身に広がり、すぐに眠ってしまった。
◇
「諸見里さ〜ん」と呼ぶ声に目を覚ますと、処置の一切が終わっていた。どのような芸当がなされたのか全く感知せぬままであった。
前室に戻り寝台にて意識が安定するのを待つ。緊張や恐怖から解放され、こんなに穏やかな昼下がりはなかった。麻酔によるほのかなまどろみの中で、医療従事者への──彼らが医学を志そうと決めたその日にすら思いを馳せ──感謝と畏敬の念が込み上げた。
検査の結果、何か腫瘍ができているとかそういうことはなく、自律神経の乱れによるものだろうということがわかった。「病は気から」と言うように、綺麗な胃をこの目で見たためか症状はみるみるうちに和らいだ。

梅雨時に減った分と言わんばかりに、今年の秋は雨の日が多かった。
侘しい季節には薄明の空に枯れ枝の影がなんとも映える。
こんなふうに風情を感じる自分こそが真の自分とは全く思わない。余裕のないときには喋りや文体にもカリカリが表れるし、誰一人とも共有すべきでない思考もする。故意・過失を問わず、一体どれだけの人を傷つけてきただろう。生きるとは、なんと他人の生きしろを奪うことだろう。
周囲の人々を悪人と思わないくらいには平和で、物事を深く考えさせない繁忙と風景に目をやれる閑散との均衡が取れ、胃の健康すら取り戻した今、私は善人然として生きてゆける。隣人の痛みも引き受けようじゃないか。
「善人然として生きているね〜」
消化器内科のお姉さんに腹の中は隠せない。やはりメタ視してしまい、滑稽な自分に恥ずかしくなる。









