2024-01-21

○○さんの30歳の誕生日

年始は帰省こそできなかったけど、姉の結婚に際して開かれた両家顔合わせなるものに参加してきて、家族には会えた。

親と会うのはかなり久しく、5年ぶりだった。
合流して顔を合わせたとき父親の目が潤んでいたのと、別れ際母親が「握手しとこう」と言ったのが、新大阪からの帰りの新幹線で脳裏にちらついて、締め切り前のアレンジを書く手を止めてくる。思えば20代のうちに親と過ごした日数は片手で数えられるだけしかなく(その日は30になる直前だった)、気づいて呆然とした。20代とか30代とか、あくまで慣れ親しんだ十進法による一区切りにすぎないと自分に言い聞かせるけど、取り戻すことのできないある時期が、長い時間が、過ぎてしまったんじゃないかという思いは東京に近づくほどに濃くなっていった。

そんなこんなで数日の間どこか感傷的になって、過ごした時間が正しかったのかどうか、人生を俯瞰しがちだった。
成果物の評価のされ方や出ていく先は多少なりとも変わっていっているけど、自分のしていることは全然変わらない。安アパートでひとりピアノを弾いて音楽を作って、バラエティやラジオを視聴しながら、しばらくの間に合わせのつもりで買った小さな机で8年コンビニ弁当を食べている。恋人ができた人、結婚した人、子ができた人、家を買った人、出世して付き合う人や環境がどんどん変わっていく人、会うたびに興味や考え方が新しくなっていく人……。自分の歩みが遅いため定点観測しているかのごとく、周りの変わっていく様子はよく映る。

もし天寿を全うできるとしたらこの先の人生も長いけれど、すでに膨大な時間を過ごし終え、貴重だったかもしれない時期が過ぎてしまったという実感が込み上げる。何もなせなくとも、親にはちゃんと会いに行かないとなあ。いつまでも親であろうとするこの二人の人間を大事に思わないわけにはいかない。

高校生の頃に持っていたケータイから引き継いだ連絡先が今の電話にも入っていて、カレンダーアプリに同級生の誕生日が表示される。この一年「○○さんの30歳の誕生日」を見るたびに、「アイツが30!?」といちいち驚いては、知る由もないアイツの現在に思いを馳せていた。
皆どうしているのかなあ。仮に同窓会に呼ばれても行く勇気はないけれど、皆激アツな20代を経て幸せな30代に突入しているといいなあ。

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